時が来ると実がなる
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」 (詩篇 1篇1〜3節)
収穫の秋がやってきました。我が家の玄関前の小さな柿の木に初めて34個の実をみました。途中何回か「ほんとうになるのかな?」「モモ、クリ3年、カキ8年」っていうからまだかな?と思いつつも、図書館で借りた園芸の本を片手に手入れしていました。待ちに待った昨日の収穫は喜びでした。
私たちの人生も同様、実を結び収穫の喜びを期待できるのです。そんな人生だったら、今の苦しみやいやなことを乗り越えられるのではないでしょうか。詩篇は150篇からなる長篇文学ですが、「幸いなことよ」と呼びかけ始まります。神は、私達が人生の実を結ぶ幸いな者になることを望んでいるのです。
そのためにいくつかの条件がここに記されてあります。「罪人の道に立たず」とは、悪い考えや行いをしないというのではないでしょう。有名なたとえですが「頭の上を鳥が飛ぶのを防ぐことはできないが、頭の上に巣を作るのは防ぐことができる。」のです。
教会へ行っただけでとか、聖書を読んだだけで、自動的に豊かな実を結ぶことはできないのですが、人生の実を結ぶきっかになることでしょう。また、自分の努力でもありません。果実を結ぶ木ならば、いらない枝を切り落とし、整えられていくように、いらないものを捨てる必要があるのです。農夫である神さまに手入れをしていただくならば、必ず豊かな実を収穫できる時がくるのです。
「主のおしえを喜びとし」とは聖書の教えを喜びとする 恐怖心からするのでなく、聖書で示されたことを喜んでやってみることです。子供は字が書けるようになったらへたでも鏡字でも喜んで書いています。そのような生き方には、必ず祝福の結果があるのを、期待してください。「時が来ると実がな」るのです。
あなたへの祝福が神様からさらにそそがれますように・・・
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