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聖書を分かりやすくお伝えします。
あなたの祝福を願いつつ・・・
 
 
更新日:2007/1/5

Message

   聖書からのメッセージです。
 
掲示板(BBS/いこいの汀)には毎週の日曜礼拝のメッセージを掲載しています。そちらもごらんください。

2002年5月6日 あなたは愛されています
あなたは愛されています
 
   「あなたは高価で尊い。私(神)はあなたを愛している。」
                            (イザヤ書43章4節)
 
  分ってどんな存在かお考えになったことがありますか。神さまは、「あなたを愛し」また「高価で」「尊い」といっています。
  
  は、はじめに天地を創造し、のちに人を作られました(創世記1章)。人はそんな神につくられた大切な存在なのです。いのちは神さまに与えられ、生かされているのです。
 
  かし、人類は自らその造り主(神)に背を向け、無視し、自分勝手な
道を歩むことになりました(イザヤ53章)。聖書はそれを「罪」と教えています。その結果、思いは空しくなり、神の栄誉を受けることができなくなりました(ローマ3章10、23節)。
 
  れども恵み深い神は、人類をあわれみ、そのひとり子イエス・キリストをこの世に送ってくださり、私たちの罪の身代わりに「十字架」で罰を受けてくださいました(ローマ5章8節)。
 
  すから、キリストを信じるなら誰でも救われるのです。罪からくる重荷や束縛などから解放されるのです。善行や修行ではなく、ただキリストに信頼することで救われるのです。(ヨハネ3章16節)
 
  われるとは、神から離れた関係を信仰によって回復して、神の御手のうちに立ち返ることです。この生き方こそ、高価で尊い者としてふさわしい選択なのです。
                                        牧師 黒滝政志
 

2002年7月24日 こころの貧しい者は幸いです
こころの貧しい者は幸いです
 
「イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。・・・
                        (マタイの福音書5章2、3節)
 
 この個所はイエスキリストの山上の説教といわれる、キリストの最初の説教です。はじめにこのことばを先頭に8つの幸いが続きます。
 
 「聖書は読んで見たことがあるのですが難しいですね。」といわれることがあります。そうかもしれません。上の聖書のことばは大変有名な個所ですが、クリスチャンでも分からないという方もおられます。分かりそうで分からない。という感じかもしれません。
 
 「幸い」はそのままの意味ですね。ここでは天国的な幸い。つまりこの地上で味わう以上の完全な幸いとでもいえるでしょうか。でも、分からなくなってしまうのは「心の貧しい」でしょう。「心」は心、私たちの肉体でない精神や霊といえるでしょう。「貧しい」ですが、これもそのままです。愛がない、人を赦せない、欲張りだ、高慢だ、虚栄をはってしまうなど心の豊かでない状態です。自分を責めたり、自信がない姿もそうかもしれません。
 
 はどうしてそれが幸いなのでしょう。実は人は、なかなか本気でそうは認めたくないのです。あの人よりはましだとか、わたしの憎しみは当然だと正当な理由はたくさんあります。ほんとうに神の前にへりくだったときに本当に「心の貧しい者」となるのです。
 
 の前に、心が飢えている貧しい者なのだと認め、神を信じるものは、天国はその人のものですとあります。だから幸いなのです。まず自分は心が豊かでなく、自信もないけど、神を信じ、頼っていこうという人は幸いだとイエスさまは説いているのです。
 

2002年10月26日 時がくると実がなる・・
時が来ると実がなる   
 
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」                (詩篇 1篇1〜3節)
 
 収穫の秋がやってきました。我が家の玄関前の小さな柿の木に初めて34個の実をみました。途中何回か「ほんとうになるのかな?」「モモ、クリ3年、カキ8年」っていうからまだかな?と思いつつも、図書館で借りた園芸の本を片手に手入れしていました。待ちに待った昨日の収穫は喜びでした。
 私たちの人生も同様、実を結び収穫の喜びを期待できるのです。そんな人生だったら、今の苦しみやいやなことを乗り越えられるのではないでしょうか。詩篇は150篇からなる長篇文学ですが、「幸いなことよ」と呼びかけ始まります。神は、私達が人生の実を結ぶ幸いな者になることを望んでいるのです。
 そのためにいくつかの条件がここに記されてあります。「罪人の道に立たず」とは、悪い考えや行いをしないというのではないでしょう。有名なたとえですが「頭の上を鳥が飛ぶのを防ぐことはできないが、頭の上に巣を作るのは防ぐことができる。」のです。
 教会へ行っただけでとか、聖書を読んだだけで、自動的に豊かな実を結ぶことはできないのですが、人生の実を結ぶきっかになることでしょう。また、自分の努力でもありません。果実を結ぶ木ならば、いらない枝を切り落とし、整えられていくように、いらないものを捨てる必要があるのです。農夫である神さまに手入れをしていただくならば、必ず豊かな実を収穫できる時がくるのです。
 「主のおしえを喜びとし」とは聖書の教えを喜びとする 恐怖心からするのでなく、聖書で示されたことを喜んでやってみることです。子供は字が書けるようになったらへたでも鏡字でも喜んで書いています。そのような生き方には、必ず祝福の結果があるのを、期待してください。「時が来ると実がな」るのです。 
 あなたへの祝福が神様からさらにそそがれますように・・・               

2002年12月6日 はじめてのクリスマス
はじめてのクリスマス
 
「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです。・・・」
                        (ルカの福音書2章8〜11節)
 
 「神ご自身のイエス・キリストがこの世に救いのために来てくださったことを喜びお祝いする」これがクリスマスです。初めてのクリスマスは、王様や学者、宗教家や宗教に熱心な人々たちによって始まったかと思いがちですが、そうではありませでした。
 
 最初に、キリストの誕生を知らされたのはユダヤの荒野にいた羊飼いたちでした。当時、羊飼い達は礼拝にでることや裁判で証言する権利もない貧しく、社会のすみに追いやられていた人々でした。神は、最初の驚くべくビックニュースをこの人たちに伝えたのでした。クリスマスは、すべての人への福音(よきお知らせ)なのです。
 
 その知らせを聞いた羊飼たちは、上のみことばのあとに「急いで行った」(16節)とあります。義務的にではありませんでした。礼拝できないとされていた者なのに、直に神さまを礼拝できると喜んで行ったのです。彼らは「神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(20節)神様の恵み(してもらって当然ではない行為や思いをいただくこと)であることをしっかりと認識し、この知らせを喜こんだのでした。
 
 何の働きも資格もない私達を、神の良き知らせを信じるだけで救いにあずかれるのです。キリストは、罪人のためにいのちと位を犠牲にされてこの世に来てくださった。この喜び、神の愛と恵みを無駄にすることなくお応えしたいですね。
 
 

2003年2月11日 礼拝メッセージは掲示板(メッセージ集で・・)
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